2つの「自己肯定感」

 先日「自己肯定感をつけるといいですよ。そのためには成功体験をするんです」と言われた。僕はその言葉に物凄く違和感を覚える。なぜなら、心理学を学んでいる人達の話では「自己肯定感というのは成功体験で得るものではない」というのが総意であると聞いているからだ。毎週僕の話を聞いてくれている心理カウンセラーの方も「成功体験で得れるものは、成功体験の半分の要素でしかない」と言っていた。今回は、心理カウンセラーの方々が言う「自己肯定感」と、一般名詞化された方の「自己肯定感」について記述したい。

 

 まず、前者の心理学的な自己肯定感についての説明を以下に自分なりにしてみる。

 

自分の出来る事や出来ない事、やっていることややっていない事の全てをひっくるめて肯定できる事。

 

 そう、出来ていようが出来ていまいが関係ない。何だったら、成功体験が無くてもいい。むしろ成功体験ができていない自分も肯定するのだ。この「肯定する」の部分は、人によっては「そんな自分でも価値があると思う」とか、「出来ない自分を諦めて受け止めてあげる」とかの別の表現をされる。

 

 さて、本来の使い方と違う使い方をされてしまった自己肯定感という言葉。なぜこうなってしまったのか。それは、自己肯定感という感覚の難しさにあると思う。出来ない自分を肯定するというのは、本人の健康状態や環境によって難易度が急激に上がってしまうのだ。もっと分かりやすく自己を肯定する感覚を得るには、成功体験が真っ先に思いつくのだ。家族を納得させたり、周囲の人間に認められれば、肯定してもいい気分になれる。これが一般名詞化された方の「自己肯定感」であり、心理学的には「自己効力感」と呼ばれるものだ。よく自己啓発の本で聞きそうな表現だと思う、読んだことはないが。もちろん、その状態も決して悪い状態ではない。しかし、心理学的に言う「自己肯定感」とは意味合いが離れてしまっている。結局その肯定感も、条件付きの肯定感に過ぎないのだ。

 

 では、その自己効力感の意味で使われている自己肯定感という言葉は誤用として訂正していかなければならないのか。僕の現時点での答えは、いいえ、だ。言葉の意味というのは結局絶えず変化するものなのだ。日本語話者が日常的に使っている「キャリア」という言葉も、元々の英語圏での「career」は「(伸びしろのある)職業」という意味だとニックちゃんねるのニコラス・エドワード氏が仰っていた(1)。このように、あるところから用語が引用されて、いつの間にか本来とは違った意味での使われ方をされてしまうのは世の常なのだ。以上のことを踏まえて、僕は両方の意味を知った上で文脈でどちらの意味を使っているのかを感知することにした。因みに僕は、心理カウンセラーの言う方の自己肯定感が欲しい。

 

じこ-こうていかん【自己肯定感】

①出来不出来に関わらず、自己を肯定する事。

➁自分には出来ることがあるという自信を持つ事。自己効力感。

(ブログ主の解釈です。実際の意味とは異なる場合があります。)

 

(1) https://www.youtube.com/watch?v=5nmd3O9t-PY